ディープなベルリンの秋に、お客様と一緒に、エジプト博物館(Neues Museum)にて、話題のネフェルテッテの胸像を見てきました!!
🇩🇪 メルマガ「ドイツもこいつも. . . 」No.157
(センチメンタルな秋特有の蔦のからまる鉄の門。。グリム兄弟が眠るベルリン・テンペルホフ・シェーネベルグ地区のマテウス教会)
先週の土曜日に、ここドイツは、夏時間から冬時間に変わり、現在時差は8時間になりました。ドイツで、9時から仕事が始まる頃には、日本はもう1日の仕事がほぼ終わる時間16時ということになります。
読者の皆様、お元気でお過ごしでしょうか? 秋たけなわのベルリンからこんにちは!
本日のお題は、「ディープなベルリンの秋に、お客様と一緒に、エジプト博物館(Neues Museum)にて、話題のネフェルテッテの胸像を見てきました!!」でございます。
過去10年の間何度も、エジプト博物館に足を運んで参りました。お供させていただいたお客様の反応を見ていますと、ひと昔と違い、エジプトに実際訪問されたこともある方もいらっしゃり、エジプトの歴史や文化に、関心をお持ちの方が増えてきたことに驚いています。
ネフェルティティの胸像は、エジプト新王国時代の第18王朝のファラオだったアメンホテプ4世の正妃の正妃ネフェルティティをモデルとした、彩色石灰岩彫刻。
古代エジプトの芸術作品のうちで多く模倣された作品の一つで、ネフェルティティは女性美の象徴としてもっとも有名な古代の女性のひとりとなっています。
『ネフェルティティの胸像』は高さ47cm、重さ約20kgほどで、石灰岩を芯として彩色された化粧漆喰 が被せられて作られています。完全に左右対称となっていますが、右目にある象嵌は左目には施されていないんです。
眼窩は彩色されていない石灰岩のままとなっている。ネフェルティティは「ネフェルティティの王冠」として知られる独特の王冠を被っていて、リボンのように水平に巻かれた金の帯状の飾りが後ろで交差し、眉の上にはエジプト王権を象徴する聖蛇コブラの飾りがあったようですが、損壊しており、耳にも損壊している箇所があリます。
衣装は襟ぐりが広く、花模様となっていて、とても繊細な美しい象となっているのが一眼でわかります。
残念なことに、写真を撮ることは許されず、お客様には、しばしそこに佇んで、しっかりこの像を心に刻んで頂きました。
アメンホテプ4世は太陽円盤アテンを唯一神とする新しい一神教 を始めました。ネフェルティティについてはほとんど分かっておらず、異国の王女だったという説と、エジプト王家の一人で後に、ツタンカーメンの後に、ファラオになるアイの娘という説があるそうです。
ネフェルティティは紀元前1352年から1336年にファラオとして在位したアメンホテプ4世とともにエジプトを統治しました。アメンホテプ4世との間に6人の娘を儲けた。そのうちの一人が後にツタンカーメンと結婚して王妃になるアンケセナーメンでした。
ネフェルティティの記録はアメンホテプ4世の治世中13年で消えています。これがネフェルティティの死によるものかは、まだ判明されていないそうです。あるいは改名しており、アメンホテプ4世の死後、ネフェルティティが短期間王座を継いてエジプトを統治したという説もあるそうです。
エジプトは、紀元前5000年前に、農耕生活を始めていたという記録がございます。今から。何と7000年前に!! WOW、何だか気が遠くなりますね。。なぜ、エジプトには、そんな前から、測量技術が発達し、宇宙の天体のことに及ぶまで測量ができていたのか。
ナイル川は夏になると、水嵩がまし、その水量を正しく予測する必要があったため、数学も発展していったと言われています。パンが世界で一番初めに作られたのもエジプトですし、ビールもワインも飲んでいた。。
ピラミッドについても、面白い興味を惹く調査があり、エジプトへ関心をお持ちの方には、とても満たされたエジプト博物館のご見学になることは間違いありません。
お客様と見学が終わって外に出たら、落ち葉が舞い上がっていました。思わず、ジャケットの襟を立てながら、レストランへと向かいました。あったかい、かぼちゃののスープを頂き、中には適度に刻んだ生姜が入っていて、めっちゃ美味しかったです。
本日も、最後までメルマガをおよみいただきmあことにありがとうございました。
SEE YOU SOON💙
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