スイス・アインシュタインも住んだベルンという町 その2
🇩🇪 メルマガ「ドイツもこいつも. . . 」No.152
ベルリン通訳ガイドの後藤裕起子です。今日もメルマガを開封して頂きありがとうございます。
さて、本日のお題は、「スイス・アインシュタインも住んだベルンという町」でございます。
アインシュタインというと、相対性理論で知らない人はいないでしょう。。この理論が原子爆弾をつくる一つの手掛かりになったことは有名です。アインシュタインは、第二次世界大戦下、ナチスが原子爆弾を製造するのを危惧し、当時のアメリカルーズベルト大統領に、原子爆弾の開発を促す手紙にサインをしたことを、後に日本に謝罪していると言われています。
そのアインシュタインの夏の別荘が、ポツダムの郊外カブートにあり、当方のメルマガ、「ドイツもこいつも」で、読者の皆様に写真付きで、ご紹介させていただいたことがございました。
そんなの覚えていない?? w、、、。。
さて、今夏のスイス旅行で、ベルンの町を訪れました。思いもかけず、アインシュタインはここにも住んでいた事が判明。お客様と一緒にアインシュタインの家を見学しました。
妻のミレヴァとの生活がここで展開されていて、子供も生まれています。
アインシュタインは、どこで生まれたのか。
南ドイツにウルムという街がございます。
余談になりますが、このウルムでは、当方1週間の教育施設の訪問をするというプロジェクトで、20人ほどの日本からの先生方と視察の通訳として、訪問したことがありました。綺麗な木組みの家と、ドナウ川が流れ、大聖堂の塔は、世界一高い160m級。とてもしっくりした南ドイツ特有の雰囲気の漂う、ウルム。
このウルムにて、アインシュタインはユダヤ系の家庭に生まれています。この街は、面白いことに、市の半分は、バーデンヴュッテンブルグ州に続し、残りの半分は、バイエルン州に属しています。
その後、アインシュタインの家族は、ミュンヘンに移り住みます。
学業では、数学と物理が、ずば抜けており、理系に関して抜群の成績で、アインシュタインは、スイスのチューリッヒの工科大学を卒業します。その後、ベルン市の特許局で働いていました。
奥さんのミレヴァさんは、当時珍しくも女性の入学を許可されるという工科大学の学生で、そこでアインシュタインと知り合ったようです。
この特許局時代に、多岐に渡り、学術性の高い発明品を取り扱うことができたため、さまざまな数式や、理論を知る機会を得る事ができたと言われています。
ここベルンという町は、1191年に建設された町で、その後、神聖ローマ帝国の自由都市として、商業が発展してまいりました。

現在人口14万人弱の、スイスで、チューリッヒ、ジュネーブ、バーゼル、ローザンヌに次ぐ5番目に大きな町です。いつかダヴォスで出会った、スイス人の知り合いが言っていましたが、もう1万人も住民が住んでいる町は、私には、大きすぎる! じゃあ、人口はもとより、人口密度もうんと高い、XXXLの東京なんて、息もできないマンモス都市??
ここスイスにやってくると、この彼女のフィーリングは痛いほどわかります。
何しろ高い山に次ぐ山、また山、今だからこそ移動も比較的簡単にできますが、隣町まで、高い山を越えていかなければ到着しないことを考えると、人間・個人の持つ空間も深くまた広いものなっていくでしょう。
ベルンのメインストリート
旧市街は、ユネスコの文化遺産になっているほどはあり、素晴らし街並みが残されています。

<おすすめ! テキスタイルの博物館 アベック財団>
ここベルンから 南へ、公共交通機関で1時間、車で30分
アベック夫妻がテキスタイルで大富豪になり、ヴィラを博物館に提供。収集したテキスタイルを見ることもできます。日本からの特注もあり、500年前のテキスタイルを修正。
その技術や目を見張るものがございました。
https://abegg-stiftung.ch/
アベックご夫妻は、ミラノを中心にテキスタイルの受注を受け、ビジネスを大きくされてこられました。
ここアベック財団でも、スイスとイタリアは、歴史の上でも切っても切れない繋がりがあったことを、認識する事ができます。
ここ欧州は、珠玉の如く地方の文化が光っており、その地方の文化はお互いに影響を受け合って、現在まで独自に発展を遂げてまいりました。
その発見が嬉しい、欧州旅行。ベルンには、掘ったら、また深く根っこが出てくる、そんな町の新しい印象を受けました。アインシュタインがここに住んだのも、ルーツがあったのかもしれません。
ちなみに彼のお父さんは、イタリアのミラノで亡くなっています。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
すでに秋風が立ちはじめたベルリンから、、、
SEE YOU SOON💙
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