完成までに600年以上通やした・世界2番目に高い塔のケルン大聖堂
お任せください!25年間ドイツの観光をご案内させて頂いてきました、ドイツガイドがご案内する・ケルン大聖堂。
🇩🇪 メルマガ「ドイツもこいつも. . . 」No.141
ベルリン通訳ガイドの後藤裕起子です。今日もメルマガを開封して頂きありがとうございます。
さて、本日のお題は、「お任せ下さい! 25年間お客様にご奉仕してきた、ドイツ観光ガイドがご案内する・完成までに600年以上通やした・世界2番目に高い塔のケルン大聖堂」でございます。
ケルン大聖堂の前に立って、高い塔を見上げると、目が眩みそう。。思わず身体のバランスを失うのではないかと思うほど、教会の塔が高いんです。高さは、157mあるそうな。。近くで教会の全景をゲットするのは、不可能です。

そもそも、この大聖堂を立てるにあたって、どういう歴史的な背景があったのか、、。
12世紀後半に、神聖ローマ帝国のフリードリッヒ1世(ババロッサ)が、イタリア遠征の勝利品として、イエス生誕の時、イエスキリストとマリアを見守った東方3賢者の遺骨を、聖遺品としてミラノから持ち帰えり、寄進したことにはじまると言われています。
教会の特徴は、何しろ背が高く、例えば、ケルン大聖堂の場合、バチカンの大聖堂の塔の方が高さは高いそうですが、丸みを帯びているのではなく、いかにもドイツ的な、キリスト教の中でも旧教のゴシック様式で垂直形なのです。
ゴシックという言葉は、キリスト教旧教に於いて、よく耳にする言葉で意味合いは、3世紀ごろ、ローマ帝国を脅したゴート族に由来するそうです。この民族はゲルマン民族の一派を指し、野蛮なという意味あいがあるとか、、。
特に南ドイツにはキリスト教旧教が広く伝導されてきたので、たくさんこのゴシック様式の背の高い教会を目にすることができます。
さて、この600年にわたり、幾多のジェネレーションに次ぐジェネレーションを生き抜いてきて、あまたの人々が、この教会の完成を夢に見て、建設に尽力してきたのか。と鑑みるに、何とも言葉では表現できない、深い平和を願い続けた人類の歴史を感じるのです。
ケルン大聖堂は、1248年にすでにほぼ全焼の大火事にあったんだそうです。
ベルリンが初めて文献の上にでてきたのが、1237年。シュプレー川の中洲が、ケルン村であったとのこと。このケルンというのは、まさに、この大聖堂の建てられたケルンを指しています。
当方のメルマガ「ドイツもこいつも、、。」で、「もしもライン川がなかったならば、、」でご紹介させて戴きました、まさにライン川の河畔に発展していったのがこのケルンなんですね。。
東ドイツの発展は、この西ドイツに比べると、はるかに遅かった。ケルンが文献に初めて登場したのが、ほぼ西暦50年ごろと言われていますので、ベルリンは、ケルンよりも1000年以上も後に、ケルン村として、歴史上デビューしています。
当方、ドイツ全国、時にスイス、オーストリアからのお客様の日本ツアーのガイディングを承っており、よくケルンからのお客様をアテンドすることがございます。やはり、その地域性があり、ケルンからのお客様は、明朗快活で、毎日がカーニバルのノリで、バイエルン辺りとはタッチがやはり異なります。
2月に毎年大きなカーニバルがありますが、もう本格的。デュッセルドルフ、ケルンあたりは、毎年TVで行進する山車を実況中継で全国に流しています。実によく出来ていて、見ものです。特に受けるのが、政治家を揶揄した山車!!行けてます。
ケルンからボンまでは、汽車で20分足らず、ボンには、べートーベンの生家もあり、素晴らしい博物館になっています。
また、ボンから在来線で1時間半くらい、西に走りますと、アイフェル地方に到達します。低い山地がベルギーまで続いており、ここで散策を楽しむこともできますし、自転車で快適に走行することもできます。ニュルンブルグリンクという、有名なサーキットもあります。
当方、パンデミーの前でしたので、すでに7〜8年経ちますが、日本の某会社さんとドイツのお役所との間のサーキット関係のプロジェクトに関与いたしていたこともございましたので、こののどかな山波は、時折り思い出すこともございます。
ここのホテルの食事は、東ドイツのものとは一味違い、フランスの豊な食の趣がして、何だか女性のウエイトレスの方も華奢なスタイルで、ドイツ語も丁寧なドイツ語だった記憶が蘇ってきました。
ドイツも大都市と地方の街とは、趣がえらく違います。
さて、本日は、ケルン大聖堂にご案内させて戴きました。
ドイツの観光ガイドは私にお任せください。お問い合わせは無料ですので、お気軽にご質問ください。
心よりお待ち申し上げております。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
SEE YOU SOON💙
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