今も生き続けるドイツの歴史を垣間見る・最古の町の一つ・アウグスブルグ

今も生き続けるドイツの歴史を垣間見る・最古の町の一つ・アウグスブルグ

🇩🇪 メルマガ「ドイツもこいつも. . . 」No.145

ベルリン通訳ガイドの後藤裕起子です。今日もメルマガを開封して頂きありがとうございます。

本日のお題は、「今も生き続けるドイツの歴史を垣間見る・最古の町の一つ・アウグスブルグ」でございます。

アウグスブルグは、ドイツ南に位置するバイエルン州に属しています。

ドイツの場合の最古というと、いつ頃を指すのか?

アウグスブルクの創立年は紀元前15年とされており、同年、現在のオーバーハウゼン地区の地に、後に補給基地としても機能したローマ軍の駐屯地が建設されたのが始まりだそうです。

トリアもドイツ最古の町の一つとして、有名な町です。そのトリアの次に古い町となる。。アルプス以北で最大規模のローマ時代の集落の一つであったとか。

この壮大なローマ人の領地を拡大していく!という情熱。圧倒されます。。

なんだか、ドイツにも、ローマ時代の足跡が残る町があるなんて、歴史のロマンを感じ、アルプスの山越えまでして、侵入してきたローマ人の果敢なるパワーは、いったいどこから出てきていたのか。。

スイスの高く聳える、アルペンをご覧になったことのある方には、このローマ人がドイツに進出してきた気概が、並大抵なものではなかったことが、想像に難くないと思います。ポパイのほうれん草以上に効用のある食べ物を食べていたのか。。Wow

さて、アウグスブルグに関して、特筆すべき点として、一つの社会の共同体として、社会福祉を16世紀の時代に考えた商人がいたという点です。

1547年のギルド制度の最終的な衰退以前から、アウクスブルクは近代初期からルネサンス末期にかけて、主にフッガー家とウェルザー家の商人一族の影響力により、世界で最も重要な貿易・経済の中心地の一つへと発展していきました。

この時期、アウクスブルクはケルン、プラハ、ニュルンベルクと並び、神聖ローマ帝国最大の都市の一つであったそうです。この方程式は今も変わらず、リッチな税金をたくさん落としてくれる商人のいる町は、どんな権力者にも町から金貨が湧き出でていくが如く、手を出したくなりますよね。笑

神聖ローマ帝国が、お墨付きにするのもよくわかります。

では、具体的にどんな形で社会の弱者を助けていったのか?

その前に、ヤコブフッガーの経歴を見てみましょうか。。

ヤコブ・フッガーは、1495年から1525年頃までヨーロッパで最も重要な商人、鉱業起業家、銀行家でした。

彼はアウグスブルクの商人フッガー家の出身で,

数十年の間に、商社をヨーロッパ全土で事業を展開する企業に拡大しました。

彼は14歳でヴェネツィアで教育を受け始め、おそらく1487年頃まで人生の大半をヴェネツィアで過ごし, その上下級聖職者として、ヤコブ・フッガーは聖職者でもあったようです。

一族の財産の基盤は主にイタリアとの綿花貿易によって築かれ、ウルリッヒ、ゲオルク、ヤコブのフッガー兄弟がハプスブルク家や教皇庁との銀行取引を開始し、同時にチロル地方での鉱業に着手。徐々に参入していきました。

そして1493年からは現在のチェコ共和国とスロバキアにおける銀と銅の採掘事業に参入したことで、一族経営の会社は急速に成長していました。

1525年からは、フッガー家はアルマデン(スペイン)における水銀と辰砂の採掘権を保有していた。

ヤコブ・フッガーは1473年から1487年まで、ヴェネツィアのドイツ商人会館であるフォンダコ・デイ・テデスキで主に働いていたことが示唆されている。

この史実は、最近塗り替えられた歴史です。

ヴェネツィアは地中海地域の貿易拠点であっただけでなく、ヤコブ・フッガーに銀行業務、そして何よりも金属取引に関する徹底的な教育を提供したそうです。中央欧州に位置する後進国ドイツから見れば、当時のイタリアは、えらく先進国だったんです!

ヤコブ・フッガーのイタリアでの長期滞在は、後に彼がアウグスブルクでドイツ初のルネサンス建築の建設を依頼するきっかけとなり、彼が設立したフッゲライの法的・建築的構造は、ヴェネツィアの社会住宅プロジェクトから着想と影響を受けていた可能性が高いと言われています。

<フッガライ 共同住宅>

1516年、ヤコブ・フッガーはアウグスブルクの貧しい職人や日雇い労働者のための居住地の建設を依頼し、1523年までに、テラスハウス開発地区に52軒の家が建てられたのです。

現存する世界最古の社会住宅複合施設であるフッゲライは、1531年に初めて「フッケライ」と呼ばれていました。

当初は、自らの過失によらず貧困に陥り、社会住宅複合施設の外で自らの家庭を再建したいと願うアウグスブルク市民のために作られ、フッゲライには多くの職人が働いていました。

居住者は多くの場合、大家族で、年間家賃はライン・ギルダー1つ(職人の週給)で、創設者とその家族のために毎日3つの祈り(主の祈り、使徒信条、アヴェ・マリア)を唱えるという象徴的な義務も課せられていたとか。

時を経て、フッゲライは67戸の住宅、教会、管理棟を含むまでに拡張され、現在では約150人の方がが暮らしています。

私もお客様と一緒に、このフッゲライを見学いたしました。

1521年に署名された設立憲章によれば、フッゲライへの入居が認められているのはアウグスブルクの貧しいカトリック教徒のみ。

今もなお、入居者の方々は、1日3回の祈りを唱えていらっしゃるそうです。この社会住宅団地にある 1つの入居者の広さは、約60平方メートルのアパートは、インフッゲライは、ヤコブ・フッガー財団によって資金提供されています。

この財団は幸運にも17世紀に資本財団から投資財団へと転換されました。数年前までは、フッゲライは財団の森林および不動産資産のみで運営されていましたが、2006年からは入場料収入も得ています。フッゲライはフッガー財団管理部によって運営されており、その監督機関はフッガー侯爵家および伯爵家上級評議会です。

読者の皆様、この500年もの長い間存在している、共同住宅。この発想に学ぶものがありますよね。

これから暑さに向かって参りますが、どうかお元気でおすごしください。

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

SEE YOU SOON💙

Best regards from Berlin
ありがとうございました!
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