イタリアで観たこと思ったこと。。人と都市と文化と、、

人と都市と文化と イタリア平和交流 2023/2024・・ その2
 メルマガ「ドイツもこいつも. . . 」No.102

ベルリン通訳ガイドの後藤裕起子です。今日もメルマガを開封して頂きありがとうございます。

第二次世界大戦で焼失しなかったイタリアの町々は、どこをとっても絵になります。スイスもそうですが、ハズレがない!の一言。文化は、人間の創造性の証として継承しなければ意味がない。といっても過言ではないでしょう。。

経済的な負担はもとより、現在に至るまで大きな尽力をかけて文化の継承がなされ続けてきた、イタリア。その背後にはここに生きる人々の誇りがあり、自分たちの持つ文化に対する深い思いが、道路に敷き詰められた石畳にさえも感じられます。

牧歌的なイタリアの旅は、まさに癒しの旅でもありました。
サンテオドロの海岸を散歩した時に感じたことは、北欧州の典型的な冬の頬を刺すような風ではなく、新鮮で、思いっきり空気を胸いっぱい吸いたくなるような、、開放的な風の暖かさ。。

夏には、この海岸は、人・人・人、世界各国からのお客様で、隙間もないほど溢れるんですって。。この地中海の島には、岩場もたくさんがあるので、トレッキングも盛んだそうです。

なので、冬は、貸家が空いておりますが、夏は何週間もここでバカンスを楽しむ人で賑わうそうです。

 

ヌオロの民族博物館で、サルディニアの伝統的な民族衣装や、農民の数千年歴史営んできた生活様式をゲット。その後、オルゴンソロまでチャーターバスでひとっ飛び。
そこで私達を歓迎してくれたのが、ここの地方料理でした。

炉端で焼いた豚肉を暖炉で温めている、とっても気のいい店長さん。豚肉の炉端焼きには、生のフェンネルを添えて頂きます。フェンネルの香りが程よくマッチ。なんとオシャレな食べ方なんでしょう。。

ここは、岩山の上の方に位置しているので、知る人ぞ知る。普通のツアーじゃあ、なかなか来れない秘境でした。。

 

アンティパスタの味覚もたまらないほど、新鮮!!
このパンは、とっても薄くって、クラッカーのようなスペシャルサルディニアのパネ。オリーブから始まり、
羊のチーズと生ハムに至るまで、

全て自家製!最高、デリシャスデス。

 

さて、存分にサルディニアの大自然と文化を満喫した後は、イタリア本土へ、またもや飛行機で、地中海をひとまたぎ。空の澄んだ青色と海の深い青色が相まって、うっとりと飛行機の窓から見える絶景に見惚れているうちに、ローマに着陸。

イタリア本土で非核兵器の展示を大々的にされている町を訪問しました。ブレッシャという町です。第二次世界大戦の前に、兵器を作っていたことがあったとか、、。

ミラノから汽車で1時間ばかり西へ走ると着くと、ブレッシャという町に、着きました。駅では、自家用車で私達を迎えにきてくださっていて、降り頻る雨の中、大変助かりました。

そこは小さな町ですが、話によりますと、ローマ軍が攻めてきてローマ帝国の服属となったとのこと。お城もあり、古い街の佇まいが、歴史の長さを感じさせてくれました。

展示場の内容は大変見事で、現在原爆が広島の街に投下されたらどうなるのか、という内容の3D も用意されていて、臨場感抜群

ここでも被爆者の方々の体験のご紹介があり、地元新聞社からの報道記者との公開質疑応答も、真剣で、人々の関心の深さを垣間見ることができました。

見学に来ていた子供たちとの交流

 

今まで大きく世界を股にかけ、イニシアチブを取られてこられた品川様ご夫妻は、2023年にオフィシャルに広島原爆資料館でガイディングを、なんと66回されたそうです!! 

またそのほかに修学旅行の学生さん達のガイディングを入れると、もう数え切れないほどの回数、世界中の方に原爆の恐ろしさを、真剣に訴えてこられたそうです。私もドイツ人観光客の方と昨年は5回、雀の涙ほどで恐縮ですが、、 

広島原爆資料館を訪問する機会をいただきました。

時には、入場するまで長蛇の列で、「外国人がこんなに多いとは、、、」と、一緒に待っていた日本人の方が驚いていらっしゃいましたよ。

私のお客様は皆さん、ここで展示を見ることができて大変有意義であったと、感謝されていました。

ここに至り、海外での核兵器反対の声は高まっており、大きな関心が寄せられています。

品川様ご夫妻は、すでにイタリアでは平和運動を行われてきており、2019年には、ドイツのベルリン。ポツダム、ミュンヘンで、ご体験をお話ししてくださっています。

今回は、お嬢さんの恭子さんもご一緒で、次の世代とまたその次3代目へと、平和運動の波が続いているのが、大変に嬉しいと語っておられました。

私達サポートチームのハイジさんとルイザさんとご一緒に、ワンショット。

私達サポートチームとしては、東京からお越しの郡司夫妻様ご夫妻、いつも、人の中へ入り、異文化を背景に持つ、イタリア人と日本人の間に架け橋を渡してくださっていました。

そしてなんでもスマホでこなせるマヌさん。マヌさんがいなかったならば、私達は、汽車に乗り遅れていたことでしょうし、食いっパグれ、ってなことにもなりかねませんでした

  

ご参加のお一人お一人に平和を切願する思いがあり、その思いが結集して今回の平和旅が大成功成功裡に終わったのだと思います。

サルディニア島で、16歳の青年がおっしゃっていました。「核兵器は何世代にも渡り被爆者を苦しめる凶器であり、これを使用する政治家は極悪犯罪者である!なので、僕たちは、この事実を訴えていかなくてはならないと思う!」と、、。

今回の平和旅を聞きつけて、2025年、ベルリン自由大学で、大きく非核講演会をしたいという有志の方の声が届いてまいりました。このプロジェクトには、すでに被爆者の方々がご招待されています。

いよいよこれから本番ですね。。私も足が痛い、腰が痛いなんていっていられなくなりましたよ。筋トレ、一緒に頑張りましょっ

それでは、皆様 どうかお元気で! またお会い出来ますこと心より楽しみにいたしております。
最後までお読み頂きありがとうございました。